2011年05月08日

岩手県大槌町薪風呂ボランティア報告

5月1日から5月5日まで、岩手県大槌町吉里吉里で行った薪風呂ボラテンィア活動について、サイクリングのブログへ報告を掲載しました。
http://cyclelink.jugem.jp/
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2008年11月26日

日々の言葉

日々、素晴らしい言葉に出会い、
素晴らしい思想に出会う。
こうして、世界を見ている人が、今、いるんだな。過去、いたんだな。
それを思うと、とても気持ちがいい。
まだまだ世界は、本当に広い。可能性に溢れてる。

今、気になるのは、茂木健一郎、小林秀雄、シュタイナー。

■朝日新聞朝刊 文化欄記事
「日本語亡ぼさぬために 近代文学読み継ごう」
『日本語が亡びるとき−英語の世紀の中で』水村美苗(筑摩書房)
日本語で読まねば味わえぬ果実。しかし「叡智を求める人は、英語へ
英語へと流れていく。」「日本で皆がバイリンガルを目指す必要はない。世界に向かって英語で意味ある発言ができる、一部の優れたバイリンガルを育てることが現実的です。」「日本の近代文学を読み継ぐことを主眼とすべき。近代は新しい日本語が生まれた画期的な時期。古い言葉から新しい言葉を生まねばならない時に国語が生まれ、豊かな文学が可能になった。若い頃にいいものに触れないと、いいものは生まれない。」
・・・このまま日本語が「叡智を求める人」に読まれない一つの「現地語」になり下がったら、どうなるか。「人類にとってどうでもよいことではない。人類の文化そのものが貧しくなる。」

どの国の言語にも、叡智が内包されているはずだ。

そして、「やわらか脳」茂木健一郎の一説。
「世界には数千の言語があるとも言われるが、その一つ一つの中に、光り輝くダイヤモンドのような、月光に照らされた海の波のような、美しい表現があるに違いないと思う。しかし、私達はその全てを知ることは出来ない。」

シンクロしている。

また、人間会議に掲載されいていた「金子郁容」の記事から。
「「経験」とは語源まで辿ると、ただの経験ではなく「情感が傷つく」経験だとのことです。つまり、ひとは情感が傷ついてはじめて学ぶという喩えだそうです。そうでなければ経験したことにならない。人間はそういう中でしか学べないのです。」

今日、福島県いわき市のチップ工場で、森林組合の人が言った。
「年収200万じゃ、誰も山の仕事はしない。というか、出来ないわ」

これだ!と思う数々の言葉。どこかで必ず繋がっているように思う。
いずれ浮かび上がる時がくるはずだ。

とにかく今は、書き留めておくしかない。




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2008年08月20日

ポニョ雑感

念願の「崖の上のポニョ」を見た。
全編に力がみなぎっている。そう思った。
とてもわくわくして、座席から飛び上がって走り回りたくなるような衝動に駆られ、必死に自分の身体をこするように座席にとどめていた。

台風の日に、強風にかしぐ木々や空高く舞い上がり瞬時に視界から消え去る木の葉や、排水溝から噴水のように飛び出る水流、今にもはがれてしまいそうなほどかしぐ看板を見て、妙に興奮しわくわくした経験を持つ人は多いのではないか。
いささか不謹慎であると思いつつも、荒れ狂い自由奔放な自然の力が躍動している世界に危険な魅力を感じてしまう。

天気予報で矢継早に発せられる警報を伝える無表情なキャスターの顔をあざわらうかのように、人々を翻弄し、交通機能を麻痺させ、傘を一瞬のうちに叩き壊し、家々の屋根を貫通する意志を持つような水の圧力で重力を押さえ込む低気圧の渦。自分はただじっとして、彼らが通り過ぎ去るのを待つしかない。この強大無比な存在の前に、ただただ人間の無力感を見つめるしかない。しかし同時に、身体の中でうごめく衝動の存在を感じてもいる。それをあからさまに取り出すことは出来ない。だけど、そっと物陰から垣間見ながら塩を舐めるように、解き放つと手のつけられない類の感覚を味わっている自分もそこいる。

通常は閉じ込められタブー視されている感覚を、昼間の日光にさらし、思う存分にじゃれ合い、楽しみ尽くす。いわゆる「悪いこと」でありいわゆる「危険なこと」でありいわゆる「支配すべきこと」を覆し、衝動を衝動として受け止め、衝動の源となる感覚を存分に味わう。いわゆるタブーを越えて得られる開放感と爽快さ。これが「ポニョ」を見て感じたこと。

統制され緻密に制御された人間社会を粉砕する力を持つ嵐が、むしろポジティブなものとして描かれる。海が競りあがり盛り上がり、津波が怒涛のように押し寄せる波頭の先端をポニョがニコニコ笑いながら全速力で駆ける。宗助に会いたいと思うポニョの一心が、海を躍動させる。そこに恐怖や戦慄はない。ただ、躍動しはちきれそうな力がみなぎるだけだ。みなぎる力を、人間が評価し判断する。自然を人格化し、怒りなどの感情と結びつける。風雨を避けたかもめや狸など陸に住む動物達は嵐に恐怖を感じるのだろうか。また、表面は壮絶混沌を極める海の下で、魚達は恐怖を感じるのだろうか。

みなぎる力を見て、判断をせず、その中に潜入すれば、ただ力があり、ただ生命が生まれているのかもしれない。ただ強靭で、世界を作る力として。
posted by ボブ at 01:18| 雨| Comment(2) | TrackBack(7) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月03日

田園ニテ思フ。

「『米』という漢字はね、『八』と『十』が組み合わさって出来てるんだ。これは米作りが八十八の行程を経ているから。農業の基本は米作りに集約されていると思うよ。これを覚えれば畑作も出来る。農業の基礎だよね。」
Iさんが山吹色に澄み切った特上のどぶろくを、僕の杯に注ぎながら教えてくれた。
甘い香りを発したどぶろくが僕の身体に浸透していく。
杯を持つ僕の手には、日光で温められた柔らかい土のさらりとした感覚がまだ残っていた。

Iさんと福島県鮫川村で会った時、広葉樹の多い村の山々は赤や黄の衣装をまとい地面さえも七色に染め上げられているようだった。Iさんが米作りを熱心に行っていることを知ると僕は間髪を入れず、田植えを手伝わせて欲しいと申し入れ、Iさんは快諾してくれた。
春が訪れ、一路、鮫川村へ向かう。
村に入ると車窓を木々の緑が覆い尽くし、狭い車内はすぐに濃い緑で充満してはち切れそうだった。快晴で、窓から入り込む乾いた空気が心地よく、光がそこかしこに満ち溢れていた。日光で白く光る路上で日向ぼっこをしていたヤマカガシは、車の気配に気付くと音もなく草むらへ消えた。

狭い山道を登り、幾つかカーブをやり過ごすと、急に眼前が明るく開けた。
緩やかな勾配の斜面に水田が広がっていた。周囲を森に囲まれ、森に守られているようだった。蛙の鳴き声があたりにこだまし、その音は太くなったり細くなったりしながら、力強く迫ってくるようだった。
Iさんは腰に苗を入れる籠を結わき、おばあさんと一緒に作業に励んでいた。
僕は嬉しくて、大きな声でIさんを呼びながら車を飛び出す。沸き起こるむずがゆいような嬉しさと楽しさで、わけもなく跳びまわりたくて仕方がなかった。
「来なかったらどうしようと思って、本当に心配だったよ。」
つなぎを着て、長靴を履いたIさんが田んぼの真ん中から呼びかける。
早朝に出発したものの、思わぬ渋滞で到着が遅くなったことを詫びながら早速身支度をする。足まくりをして、手ぬぐいをキュッと頭に縛る。

本日の指導員は、Iさんの母方のおばあさん。
「土の上に軽く乗せるような感じで、板前さんがお寿司を出すように、トン、トンと」
Iさんのお母さんが昼食を運び、Iさんの息子二人は歓声を上げながら隣の池で魚を追い回している。お父さんが苗を軽トラで運んでくる。

少し戸惑いつつも、片足から田に足を入れる。足が柔らかい泥の中へもぐりこみ、奥は少しひんやりしつつも表面は温かい。適度な泥の圧力が肌を圧迫しつつ、足を動かすと意外にさらりとしている。特に泥の上部は手でつかめないほど柔らかくトロトロしている。
Iさんは僕と並んで入り「いい手つきだよ」と言いながら、ぐんぐん進んでいく。透き通る水面を見ると、泥の合間にひょろひょろと黒く細長く伸縮する生き物がいる。ヒルだろうか。そこへすーっとアメンボが来て、視界を横切っていく。僕は早く植えるのが惜しいような寂しいような思いで、ゆっくりと苗を泥に立てながら、嬉しさを幾度となくかみしめた。

Iさんとおばあさんは、前、左に二つ、右に二つと一歩進むごとに5苗を植える。
僕は前、左、右と3苗を植える。
田にはIさんがガジと呼ばれる巨大な櫛のような道具を使い、一面に等間隔の正方形が描かれているので、後はただ頂点に苗を置いていけばいい。この作業が大変だったろうに・・・。今日のために準備をしてくれたIさんの好意が有難くて仕方ない。

「ばあちゃん、ほんとうにはえぇーなあー」
Iさんが手を休めおばあさんの仕草に見とれている。僕も一緒になっておばあさんの動きを食い入るように見る。
動きに無駄がなく、僕の横にいたはずなのに、もう向こうの畦に近い。
田植えコンテストでも優勝経験があるおばあさんに、僕達はまるで歯が立たない。実はIさんも普段は田植え機を使うため、手植えは今日が初めてだと言う。
「いやぁ、手で植えると本当にうまい米が出来るんだよ。収量も多いし。子供達に食べさせる米は手間かかっても、農薬使わないでこうやって作るのが一番。」

おばあさんは僕達の手つきを褒めちぎりながら、動作は確実で尚速い。
この迫力は一体なんだろう?おばあさんの身体から田で蓄積した数十年の経験が周囲に発散しているようだった。僕はおばあさんを見ながら「歴史」を体感しているような気分になった。自然と尊敬の念が起こる。
「農家の人たちはお互い助け合って生きてる。田植えがあるときは、一家総出で手伝いにいく。それを順番に繰り返しながら。みんなに助けられていることを知ってるから、自分のことより、いつも他人のことを褒める。ばあちゃんはいつも誰かを褒めてる。結いの精神ってこんな風かもしれん。」
Iさんは飲みながらそんな話をしてくれた。

いつしか水田は、均等に正確に、等間隔で並ぶ苗で充満した。
子供達はズボンもパンツも脱ぎ捨て、かわいいお尻を緑にさらして泥の中を行ったり来たりしている。
お母さんが、
「田んぼは気持ちいいねー」
と言うと、
「田んぼは気持ちいいよー」
と無邪気に大きな声でかえす。僕もIさんもおばあさんもみんな笑っていた。
澄んだ透明な光の中で、木々の緑が日光に反射し、静かに輝いていた。

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posted by ボブ at 00:39| 霧| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月28日

VOLVER<帰郷>

歌が放つ重厚な存在感。

映画の中で、最も強く心を魅かれるシーンだった。
突然の展開に驚く間もなく、フラメンコ・ギターの旋律に
合わせ、「帰郷」が歌われる。
アルマドバルは、この歌から物語を構成したのかと思うほど、
歌詞と登場人物達の心情、状況がぴったりと重なり合う。
長年、邂逅を得られぬままにいる母と娘が歌を通じ、空間を
共有する。しかし、娘は母が生きていることをまだ知らない。
「帰郷」を歌うライムンダの声が響き渡り、声の抑揚と供に
感情が高ぶる。ライムンダの頬には涙が伝っていた。

「オールアバウト・マイ・マザー」「トーク・トゥ・ハー」と、
続くペドロ・アルマドバル監督の女性三部作の完結編「帰郷」。
「帰郷」には、男性がほとんど出演しない。三世代に渡る母、娘、
姉妹達、が常に物語の中心にいる。

まだまだ男性が物語の主要な位置を占める映画が多い中、極限ま
で女性を対象に絞り込んだストーリーが気持ちいい。たとえ男性
が登場するとしても、ほぼ女性に殺される(笑)。どうしようも
ない男のために、女達は耐え忍び、つらさを分かちあうことさえ
出来ない状況へ追い込まれていく。

悲哀。絶望。後悔。嫉妬。憎しみ。

複雑な感情を抱えつつ、日常を積み重ね日々を生きる。
日常は、豚肉をあつらえた料理であり、客の髪をシャンプーで洗う
行為であり、娘の着替えを促す母としての姿勢だ。

夫、叔母の死、母との断絶、友人の病。次々と予期せぬ出来事が
おこる。各々が悲しみを胸に抱えながら、近しい人たちと力を合わ
せ日々を全うする。客で賑わうレストランの冷凍庫では夫の死体が
凍りついている。とにかく今は生きるために客をもてなすしかない。
同じ空間に、ディナーパーティの雑踏や談笑と凍りついた死体があ
る。思わず吹き出してしまう。しかし、日常とは案外、極限と均衡
が織り成す微妙なバランスの上に成り立っているのかも知れない。
牧歌的な均衡の背後には、重苦しい感情が横たわっていることもあ
る。ただ、人と人が交錯する中で重苦しい感情がすっと開放される
こともあるのだ。この開放弁の圧力を緩めることに力を貸す存在は
一体誰なのか。
結論から言えば、それは家族だと思う。母、姉がライムンダの過去
を受け入れる。ただ、家族ゆえに和解までの道のりは遠かった。
家族の個人に対する許容性は、奥深い。

スペインらしい情熱的な色彩と、淡い中間色の色彩が混然となり
鮮やかに画面を彩る。アルマドバル監督の作品は、この「色」がた
まらない。

ペネロペ・クルスが歌う「帰郷」は、スペインのフラメンコ界で注
目されているエストレージャ・モレンテのもの。
「オールアバウト〜」では、ボサノバのシーンが印象的だった。

「帰郷」

再び出会うことへの恐れ 

忘れたはずの過去が蘇り

私の人生と対峙する 

夜に心がふるえる

思い出に満ちた多くの夜が

私の夢を紡いでいく

旅人は いくら逃げても

いつか立ち止まる時がくる

たとえ忘却が全てを打ち砕き

幻想を葬り去ったとしても

つつましい希望を抱く

それが私に残された心の宝

帰郷

しわの寄った顔

歳月が積もり銀色に光る眉

感傷

人の命はつかの間の花

20年はほんの一瞬

熱をおびた目で

影の中をさまよいお前を探す

人生

甘美な思い出にすがりつき

再び涙にむせぶ


youtube 「VOLVER」
http://www.youtube.com/watch?v=5v2gi17tQCA&feature=related











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2007年10月08日

里山を走る

satoyama.JPG


ペダルを踏み込むと、鬱蒼と茂る森が瞬く間に後ろへ過ぎる。

木の根や落ち葉、柔らかい土の上を駆け下る時の緊張感と爽快さ
は格別。
シングルトラックをMTBで走る気持ち良さを、久しぶりに味わった。
ますますハマリそう・・・。

東京都北西部と埼玉県南西部にまたがる緑地帯。狭山丘陵。
なんと自宅から自走で30分。
Oyanから話を聞いてから、「いつか必ず」とわくわくしていたけ
ど、やっぱり素晴らしい。

しかも、六道山の麓には「かたくりの湯」もある。

はやる気持ちを落ち着けて。

狭山丘陵の自然は変化に富んでいて、多様な生物の棲家になって
いる。絶滅危惧種オオタカの生息地でもある。
飛翔時の最高時速は80km。熊と同様、生態系の頂点に位置するため、森の豊かさを象徴する動物。

オオタカが家から30分という至近距離に生息しているとは、西多摩
にまた一つ愛着を抱く要因が増えたようで、嬉しい限り。

さらに、狭山丘陵は「トトロの森」と呼ばれ、トトロのロケハンが
参考にした森だった。トトロにちなんでナショナルトラスト運動も
行われている。

この地域は古くから機織が行われ、村山大島紬の産地だった。
昔は集落の家々から機織機をこぐ音が聞こえたとのこと。

谷あいに広がる田んぼを見ていると、薪炭林として村人達が丁重に
扱ってきた山だろうと思いを馳せる。
しかし、実は江戸時代に御料地となり、長い間、村人の出入りが制
限されたようだ。

その頃の民話で、藤兵衛という男が狼と出会う話がある。藤兵衛は
峠の途中で出会った狼の喉につかえている骨を抜いてやると、狼は
彼に感謝し、藤兵衛が家を出る度に待っていて着いてくる。藤兵衛
は「そんな姿で着いてくると、困るから明日から姿をあらわさない
ように」というと、翌日から狼の姿は消えた。
藤兵衛は狼が御嶽神社の使いで、大口真神と言われていることを
思い、小さなお宮を作りお祭りした。

オオカミ信仰も面白い。

続きはまた、別の機会に。

satoyama1.JPG











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2007年09月27日

NEW DIMENSION

ネオンの光。
せわしなく路上を行き交う人々。
攻撃的な意志を持っているような車の波。
煌くショーウインドウ。

銀座の雑踏を抜け、裏路地に入ると靴音が
聞こえる位静かだった。

ニコンサロンのショールームが光を放っている。

受付を通過し、奥の部屋に彼が見える。
石川だ。

9月19日から10月2日の会期で開催している
石川直樹の個展「NEW DIMENSION」。
現在発売されている彼の最新写真集のタイトル
でもある。

白い壁に並ぶ数十点の写真群。
世界10カ国の洞窟画、岩壁画の数々。
もう、銀座の中心で次元がゆがみ始める。

数千年からそれ以上前に古代の人々によって
描かれたそれらの壁画は、僻地を包む静謐さの
中で、今もなお、狂おしいまでの躍動感、圧倒
的な存在感を放っている。

一つ一つの壁画に、石川が少しづつ接近していく
過程が、現在から未来への時間軸にそって展開し
ている。
壁画に対面した彼がシャッターを押すことで写し
出された画像は、ついさっきまで彼にとって未来
だった対象。しかし、壁画のある空間で時間は過去
・未来・現在という直線的な時間軸を越えて、
ぐねぐねとうずまき状に旋回しているように思える。
永遠に廻り、巡り続ける時間とでもいうべきか。
確かにそこはDIMENSIONが堆積し、重なり合う場所
なのだろう。

そうして、動物と人間が時空を越えて一体となる。
動物と人間を隔てる境界が溶解する場所。

ノルウェーとロシアの国境で撮ったという半人半獣の
木彫りを写した写真に僕は釘付けになった。

熊のような四肢に、人間の顔が掘り込まれている。

ロシアのシャーマンが掘ったものだ、と彼が言う。
世界の様々な場所にこのような木彫りがあるらしい。
ビシビシと力を感じるような圧倒的な存在感だった。

顔面に彫られた目が、確実に境界の向こうを捉えている
ようで、とてもリアルなのだ。
人前に無防備にさらされることが、破壊的な力に結びつ
いてしまうような、そんな迫力がある。

久々に身体の芯が熱くなる思いがした。

ニコンサロンHP
http://www.nikon-image.com/jpn/activity/salon/exhibition/2007/09_ginza-2.htm






posted by ボブ at 01:20| 晴れ| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月03日

イベント主催します!

本当に久しぶりの書き込み。

今回は自分が主催するイベントの告知です。
興味ある方、是非お越し下さいね!
当日は、ウッドチップを使ったインスタレーションも考えています。

5月。山では新芽がほころび、初々しい緑が映える季節。
今回はボブが山ではなく都会に、一日だけ、森を体感する空間を作ります。

題して「FORESTS FOREVER〜五感で森を知る〜」。
見る、聞く、話す、触れる、嗅ぐ、味わう。
五感をフルに解き放って、森を体感して下さい。
プログラムは三部と番外編で構成します。

一部「Virtual Forests」
スライドと音楽で、森を堪能します。

二部「日本の森の今と、木質バイオマス」
森林大国日本の危機的な現状と、森林資源の活用方法について話します。

三部「マイ箸で森を元気に!森人(もりんちゅ)ワークショップ」
国産材から世界で一つのオリジナルマイ箸を作ります。
今回は「マイかんざし」作りにも挑戦します。

番外編「森人の宴」
マイ箸で、ヒノキの香りと供にご飯を食べよう。
立教大学近くにあるマレーシア料理屋を予定しています。

視覚、聴覚、触覚、嗅覚をフルに使って、森を体感する空間を堪能して下さい。

参加人数は約20人を予定しています。
お時間がある方はお早めに申し込みを!
ボブまでご連絡ください。
sp7243d9@etude.ocn.ne.jp

「FORESTS FOREVER〜五感で森を知る〜」
日程:5月20日(日)
場所:立教大学池袋キャンパス
ウィリアムホール3階 会議室2
http://www.rikkyo.ne.jp/grp/kohoka/campusnavi/ikebukuro/index.html

時間:14時〜16時30分、「森人の宴」は17時頃開始予定。
参加費:500円(「森人の宴」は別途)
posted by ボブ at 01:15| 晴れ| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月20日

森を漕ぐ

万水川(よろずい川)の水量は豊富で、狭い川幅ながら流れが速い。

土手の芝生に、背中に背負ったカヌーと、前に抱えたザックを転げ、
伸びをする。待ちに待ったカヌー行。容赦なく照りつける太陽さえ
も愛らしく思える。

土手の横には、池のある公園があった。
あまりにも水がきれいなので、池を覗きに行ってみる。
すると、池の端から水がゴボゴボと音を立て、こんこんと湧き出て
いた。
透明の水の中に手を入れるとひんやりと冷たく、驚いた鯉がゆっく
りと向こうへ泳いでいく。

安曇野は湧水の豊富な土地。たゆたう水面と地中から響く湧き水の
音を聞いていると、それだけで底知れない安堵感を感じる。豊かな
水は、人の精神を沈静化させる効力があるのだろう。
この安堵感を、最初にこの地を定住地として選んだ人々もきっと感
じたに違いない。

しばし涼んだ後、早速カヌーを組み立て始める。
瞬く間に、全身から汗が噴き出る。
船体布に、顎を伝って汗が落ち、黒いしみを作る。
早く漕ぎ出でたいとはやる気持ちを抑え、手順を間違えないように
ゆっくりと組み立てる。
カヌーの骨組みが日光に照らされ、触ると焼けるように熱い。
はやく、はやく。
いつの間にか、作業の速度があがっていた。

笠井さんは、新品のカヌーを組み立て、ポンプでエアーを入れている。
まっさらのカヌーが芝生の上できらきらと輝いている。

カヌーの組み立てが終了し、シュラフやテントなどのキャンプ道具を
フネに積み込む。防水バッグを念入りに閉め、バックルを閉じる。

いざ、出発。
と、その前に、進水式。

用意しておいた日本酒の蓋を開け、カヌーと川に注ぐ。二人で壜を渡
し合い、酒を口に含む。残りは、もちろん、夜のため。

P8160180.JPG

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いざ、いざ、出発。

岸を蹴り、漕ぎ出でるといきなり流れに押され、ぐんぐんと流されて
いく。橋桁が頭の上を通り過ぎる。スタート地点はもう見えない。

パドリングをしていると、妙にわくわくして、笠井さんと互いに大声
を出してはしゃぐ。ただただ楽しい。

土手が高いため、周囲の人家が見えない。青い芝生の土手の先は、すぐ
青空だ。

ゆらり、ゆらりと、カミサマトンボが川面を横切る。
「カミサマトンボ」の名を知ったのは、長野へ来る前に行った福島で友
達に教えてもらったばかりだ。学名は「ハグロトンボ」らしい。しかし、
僕は「カミサマトンボ」の方が断然好きだ。
このトンボは、羽が墨汁のように黒い。細い身体と黒い羽根で、ふわふ
わと、それは優雅に飛ぶ。その様は、まるで蝶。「飛ぶ」よりも「舞う」
と言ったほうがよいくらい神秘的なトンボで、「カミサマ」と呼ばれるの
も頷ける。

小さな瀬がある度に、いちいち歓声をあげる僕達。まるで、子供だ。

両岸に、いつしか木々が生い茂り始めた。
森の中をカヌーで漕いでいるような不思議な感覚がする。

川が緑色になった。よく見ると、川底が瑞々しい水草で覆われていた。

周囲を全て緑に囲まれてするすると滑るように川面を進む。

水車だ。

大王わさび園に到着。水車はここのシンボルでもある。
黒澤明の「夢」を見てから、ずっと訪れたいと思っていた。

さあ、上陸してビールを飲もう。

P8160186.JPG



posted by ボブ at 01:38| 晴れ| Comment(4) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月11日

川原の風

川原に吹く風は心地よく、日焼けで痛む肌を優しく撫で、
焚き火を囲む僕たちの側をそっと通り抜けて行く。

この風は、いつか、体験したことがある風。
それはエギン川かもしれないし、那珂川か、四万十川かも
しれない。

川へカヌーを漕ぎに来ると、夜、僕らは川原の上で焚き火
をしながら、この風と遭遇するのだ。

これほど心地よい風を僕は知らない。
常に吹き続けているが、決して強すぎず、寝袋をはおること
もなく、地図を飛ばされることもなく、絶妙なのだ。

この風に吹かれていると、テントで寝るのが惜しくなる。

このまま風を感じながら、仰ぎ見る星空の下で、焚き木がはぜる
音に身を預け、気付かないうちに眠り入りたい。

この日は川原があまりにも大小の石でゴツゴツしていたため、堰堤
の平らな場所にテントを張り、寝ることにした。
テントという四方を囲まれた密閉された空間で寝ることに嫌悪感さえ
催してしまうほど、心地よい夜だったが仕方がない。

今年の夏休みは、探検部時代の先輩、笠井さんと供に万水川、犀川、
千曲川を下るカヌーツーリングの旅に出かけた。

笠井さんは、モンゴルへ遠征に入った時の隊長。
その実年齢とかけ離れた(より上に)風貌から、「大仏」と仲間から
呼ばれるが、風貌とはうらはらに時々見せる可愛らしい仕草(後述)
とのギャップが魅力的で、僕の大好きな先輩の一人だ。

笠井さんと川を下るのは、モンゴル以来、実に8年振りである。

楽しくないわけがない。

今回、長野県安曇野を流れる万水川、犀川を下り、ダムを迂回し、
犀川と合流する15キロほど手前の地点から千曲川を下る。

3日間の至福。

僕の身体にある全ての細胞が耳を研ぎ澄まし、川の流れをただただ
ひたむきに受け止める、貴重な旅が始まる。
posted by ボブ at 23:02| 霧| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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